RPJの思想の最近のブログ記事

第2回リカバリー・パレード「回復の祭典」において、取材・撮影するにあたり、下記事項をお願いします。

基本的に私たちは顔と実名を出して世の中の人に心の病や生きづらさからの回復をアピールしています。
しかし、今回のイベントは回復施設からも大勢参加しています。回復途上の人やいろいろな事情により顔や実名を出したくない人もいます。恐れ入りますがご理解とご協力をお願いします。

1.腕章のお願い
 撮影時は必ず腕章をつけてください

2.パレードの撮影に関するお願い
 撮影禁止区域を設けます。撮影禁止のマークを見たら撮影しなようご協力よろしくお願いします。
(1)緑色のうちわを持っている隊列は撮影しないでください。

(2)橙色のうちわを持っている隊列のうち、撮影禁止のプラカード以降は撮影しないでください。

3.客席の人を撮影しないでください
 原則客席に座っている人の顔は撮らないようお願いします。
 特にパレードに行かずに残っている人の顔は撮影しないようご協力お願いします。

以上

[MLより] なぜ精神障害を含めたのか?

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アメリカのリカバリーウォークなどは、アディクションのみ(その中でもアルコールと薬物のみ)を対象にしてるのに対し、なぜ日本の「リカバリーパレード」は、他のアディクションを含め、さらに広く精神障害一般、心の問題まで含めているのか?

時折そうした質問が寄せられます。準備会のメーリングリストでのやりとりの一端を紹介することで回答とさせていただきます。

以下MLでのIさんのメールより。

「ちなみに精神障害をなぜ入れているのですか?」という質問が出されていたので、準備会の流れを記憶しているかぎりで簡潔に書いてみます。

最初の段階では、「アディクション・パレード」という案が有力だったと記憶しています。昨年の初め頃のことです。これはおそらく、横浜アディクション・フォーラムの青空版・街頭版という発想で、構想だけはかなり以前からあったようです(今、「アディクション・パレード」という言葉を聞くと、何か奇異に感じます。アディクションの人たちの行進にどんな意味があるのだろう、回復者の行進だからこそ意味があると考えるようになったからです)。

ところが、10年ほどの実績をもつアメリカの「リカバリー・ウォーク」のキーワードは「リカバリー」であることが分かり、アメリカをお手本にするのがいいのではないかという流れが強くなりました。ただ、アメリカでは、AOD(alcohol and other drug problems)、つまりアルコールと他の薬物の問題という範囲になっています。

その後の準備会では、「では何からの回復とするのか?」というテーマで何回か議論がありました。最終的に(今年の2月頃かな)、「依存症、精神障がい、生きづらさ」から回復している本人、家族・友人、関係者、そして一般の賛同者が新宿に集まって、「回復」を喜び祝うパレードを行い、一般の人たちに回復の姿をアピールします」(RPのホームページ)というリカバリーパレードの趣旨が確認されました。

以上が簡単な経緯です。

(参考)

1.アメリカのあるウェブサイトで、およそ200種類あるアノニマスグループのうち、依存症関連は約2割にすぎず、残りは統合失調症とかそううつとかの心の病や、生き方の問題を扱っていると紹介していました。この事実はリカバリーの範囲を考えるときに役に立つと思います。

2.『和解と精神医学』(1989年、筑摩書房、森山公夫著)は躁うつ病と統合失調症について書かれた本ですが、著者の森山先生は、ウィリアム・ジェイムズの『宗教的経験の諸相』を引用しつつ、躁うつ病も統合失調症も霊的な病(森山さんは「きわめて人間的な病」と言ってますが)であり、簡単に言えば前者は自分へのとらわれ(我執)、後者は外界へのとらわれの病気であると述べています。そして、回復(解決策)するためにはそれぞれ、自分との和解(躁うつ)、外界との和解(統合)を経験することが必要であり、それは日向ぼっこのようなイメージの仲間との分かち合いが助けになると言ってます。私はこの本を読んで、日本のリカバリーパレードが心の病全般を対象にすることは適切であるとますます思うようになりました。

Recovery is a reality

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ホームページの英語版のページ ができました。1ページだけですけど^^;

これは「Faces and Voices of Recovery に登録するために英語のページを作ろうよ」、という話から始まったもので、トップページをいさむさんが英訳、ネイティブのAさんがチェックしてくださいました。

その中の一文。

We want people to learn by seeing our faces and hearing our voices that recovery is a reality.

私たちの顔を見て、私たちの声を聞いて、回復が現実であることを皆に知って欲しい。

これこそ私たちの行動原理です。

アディクションや心の問題に無関心な人たちは、回復にも無関心で、回復が現実であることを信じていません。そこに社会の偏見があります。
私たちは回復したものとして、無関心な人たちに伝えたいのです。私たちもあなたと同じ人間であると。

けれどもっと深刻な偏見があります。援助職、家族、当事者の順に近くなるほど、その人の回復が現実に起こりうることを信じられなくなっています。回復できる人とできない人に区別しようとしています。
私たちは回復したものとして、自分や親しい人の回復を信じられない人たちに伝えたいのです。私たちもあなたと同じ人間であると。

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